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夏の暑さに思うこと。

 立秋(8/8)も過ぎ,盆も間近。残暑厳しいこの頃である。こういうときは,冷たい水羊羹などいかがかな?ぬるめの濃い煎茶などあれば,心地よい。煮溶かした寒天に粒餡と三温糖を加えただけの簡単なもの。塩を入れれば,砂糖は控えめでよくなるが,味がくどくなるので嫌いだ。よって,自分で作るときは塩を入れない。冷蔵庫という便利なもので,冷たく冷やして,食後に甘味。これも乙なものである。

 ところで,冷たい甘味の何よりのお供は,実は夏の暑さである。今年は,いずこも節電なのでそこまで効かした店はないかもしれないが,炎天下を歩いて暑くて暑くてたまらず,かき氷(ジェラートでもいいよ)でも食べようと喫茶店に入ったら,ものすごくエアコンが効いていて,イザかき氷が目の前に現れたときには,体が冷え切ってしまっていて,あんなにほしかったかき氷よりもホットコーヒーでも頼んだ方がよかったという思いをしたことがあるのは,私ばかりではないと思う。

 もっとも,今日日の暑さは,巷に死人が出るほどで,甘味のお供という雰囲気を楽しむ余裕を与えてくれないのだが,我が家の場合,今年の暑さでもほとんどエアコンを使っていない。20年ばかり前に諸事情で家を建て直したとき,こだわったのは桟(えつり)と土壁。請け負った大工に,「こうやって建てても,竹も土も藁も昔とは違うから,昔通りとはいきませんよ」と釘を刺されながら,かなりの部分で土壁にしてもらった。おかげで,建て直す前の家には遠く及ばぬまでも,今どきの家としては大変に涼しい。建て直す前の家の冬の寒さは言うに言えなかったが,こちらの方もかなり改善した。年中忙しく過ごしていた昨年までは,このこだわりから生まれた家の涼しさを感じる余裕もなかったのだが,リタイアした今年は,盆を控えて忙しいとはいえ,これまでとは違う心の余裕があるのか,扇風機の風を受けながら,こんな甘味を味わっていると,いいものだなぁと思う。

 風を送ってくれている扇風機は,先日,タイマーの壊れた1964年製のNATIONAL(断じてPanasonicではない)F-30ZEである。私と同じ年頃の方なら,「ああ,うちにもあったよ」と思われるかもしれない。我が家ではいまだに現役である(笑)。最近まで寝室で使っていたのだが,タイマーが壊れたので,茶の間に持って来た。寝室の扇風機はタイマーが使えないと困るからね。こういうスタイルの扇風機の出初めだったと思う。今売られているのとは違い,重いんだよー。

 ところで改めてこういう夏の味わい方をしていると,日本の家はやはり兼好法師のいうようにすべきだよなぁと思う(徒然草 55段 32ページ)。北海道は別だと思うけどね,兼好さんの頭にあったのは,主として京都のことだろうから,その辺は時代に免じてご容赦願いたい。

 そして,今でも思い出すのは,学生として東京に住んでいたときの朝晩の耐え難さだ。学生だから,昼間は部屋にいなかった(爆)。当時,私自身のアパートには冷房設備など論外だったが,世の中では各戸に冷房のつき始めたころで,ヒートアイランド現象の走りだったのだろう。卒業して勤め先の関係で,杉並から田畑の残る都下に越した年,秋口の朝の涼しさには感動したものだった。

 子供のころには,まだ,庭に置き座を出して夕涼みする習慣が残っていたが,よく打ち水もしていた。もっとも,打ち水の効果を上げるためには,舗装されていない地面が必要だ。アスファルトの舗装路に水を撒いても,湿度が上がって辺り一帯に温気が籠るだけで,ちっとも涼しくならない。都内では打ち水では効果がなかったという報道があったのは,7月ごろだった。学術的な話は分からないが,経験的に,極限まで熱せられたアスファルトにわずかばかりの夕立があった後の蒸し暑さはよく知っている。温度を下げる効果が出るためには,とんでもない土砂降りが必要なのだ。もちろん,そこそこ長さもいる。

 地球上のすべての地域で冷房を使わなくなるだけでも,異常気象はずいぶん改善されていくのだろう。その一方で,そんなことはとても実現不可能だろうと思ってしまう自分がいる。甘味の話から,ずいぶんかけ離れたところに来てしまった。暑さをお供に,ひんやりと冷たいものを味わう余裕が,戻ってきてほしいものである。