今日も雪。

 朝起きたら,屋根に白いものが見え,あらあらと思った。(寒)

 ところで,職場のWEBサーバはRedHatに乗っかっている。これの管理者は私ではないのだが,この上でMySQLを使いたいと言ったところから,ちょっとした笑い話が始まった。相手の言い方があいまいだったのと,私の思い込みの激しい性格のせいなのだが,今日その事が判明して一人で笑ってしまった。

 我が職場のシス管君は頼りにならないので,職場の環境を構築した出入りの業者のSEに先の件を打診したところ,「MySQLでないとだめですか,データベースサーバとしてならPostgreSQLが入っていますよ」と言われた。「いや,別にそれでも構わないけど,使ったことないし,使いたいCMSが動くかどうかも分からないし」ということで,とにかくどんな具合か試してみることになった。phpPgAdminから触ろうと思ったんだが,suであるpostgres以外で扱えるデータベースが何も存在しないようなので,直にWEBサーバに触る許可をもらってRedHatのコンソールからPostgreSQLにアクセスしてみた。
 su – postgres が効いたので,スーパーユーザであるpostgresは存在するようだ。次は,一般ユーザの登録ということで,
 createuser -P ユーザ名 を打った。ところが最終的に下のメッセージが出る。
   createuser: could not connect to database postgres: could not connect to server:No such file or directory
   Is the server running locally and accepting connections on Unix domain socket “/tmp/.s.PGSQL.5432”?

 ここでサーバが動いていないと気付くべきなのだが,気付かないのが私の私たる所以で,何か一般的でない名称でインストールしてるのかなと思い,いろいろやってみた。どうにも,埒が明かなくてその日はギブアップ。
 今日ようやく時間がとれて例のSEに電話し,こういうエラーが出て「どうやらサーバが動いていないみたいなんだけど」という話をしたところ,「daemonとして動かさないといけないですね」と言われた。実はそれもすでにやってみていて動かないし,「そもそも本来ならインストールされているべきディレクトリに,それらしきものがない」という話をしたら(こっちは特殊なことをやってるんじゃないかと思っているもので……),「じゃ,パッケージのままかもしれないです」という話。「えーっ,そこからやらなくちゃいけないの?」というと「みたいですね」という答えで,2人で虚しい笑い。結局そっからやった。
 結果は,一般ユーザ作ってそのユーザ用にデータベースを作ったところで,本日は時間切れ。後はどうなることやら。時間を作るのが一苦労なのに。(泣)

 でもまぁ僅かでも進んだんだから,杜牧にならって「獨酌」で行きますか。明日は休みだし,夕方になってどんどん降りだした雪が積もりでもしたら,雪見酒なんて風流じゃないですかネ。

篷 何 擁 窗
底 如 爐 外
睡 釣 開 正
秋 船 酒 風
江 雨 缸 雪

縦書きエンジン「涅槃」について

 話の発端は,10月に書いた「菊のこと」ですが,縦書きエンジン「涅槃」にはまりました。東アジアの言葉はやはり縦書きがデフォルトですね。
 早急に主張しないと縦書きが読みやすいと感じる人々が,中国(台湾も含めて)・朝鮮(南北)・日本にいなくなってしまうかもしれません。ベトナムやモンゴルの縦書きは疾うの昔につぶれてしまいました。ここのブログも基本は横書きです。
 わが国も含めた三国の縦書きは,ネット時代になってから風前の灯です。わが国ではこれに,携帯小説が拍車をかけています。他の二国はどうなんでしょうか?
 小説などを印刷された本で読む人が減り,若い世代には逆に縦書きだと読みづらいと感じる人が増えています。W3Cでは懸案として日本語組版処理の要件(日本語版)があるようですが,いつになったら通るんでしょうか。私自身は,仕事関係の文書などは横書き,小説などは縦書きのほうが読みやすいようです。特に,古典などを横書きで与えられると読むのが苦痛です。意味まで取りにくい気がします。皆さんは,どうでしょうか。
 「菊のこと」で引用した聊斎志異と清貧譚について,縦書きバージョンを作りました。表面上はうちのサイトになっていますが,もとのサイトをはっきり明示し,アクセスされた時には,もとサイトにもアクセスされるように配慮しました。それだけでよいのかどうか分かりませんが,私自身が自分の翻訳を利用されるときにこれなら許せるという形態にしました。
 相手方がもともと縦書きになっていればリンクを貼るだけでいいので,話が簡単なんですがねぇ。

月とコスモス。


 一昨日の後の月には会えずじまいだったが,今夜の十五夜は見事。明るいので,シャッタースピードを上げました。コスモスのほうは一週間前のですが,囲んでみると綺麗かななぞと思い一緒にアップしてみました。

 ところで,長岡輝子がなくなりましたね。102歳だったそうで。ここ最近はお顔を見ませんでしたが,5年くらい前まではお元気だったような気がします。長岡さんの朗読で聴いた宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出します。あの詩は賢治その人は詩として書いたのではなかったかもしれないと思っています。純粋に文面だけを取り上げると傲慢にも思えるところもあります。

 でも,賢治が死の床で動けない状態になってから,しかも詩作として書いたものでないと思って読むと,悲痛な叫びに聞こえるのです。
彼は,金持ちのボンボンですが,その境遇に安住できなかった人です。私が,賢治の作品を読んだころはなんとなく神格化されていたような気がするのですが,近頃はだんだん「人間 賢治」の研究も進んでいるようです。

 私の年から言うと賢治はすごく昔の人に感じるのですが,長岡さんの生年を見るとそれほど変わらないんです。賢治が夭折しなければ,つい最近までは生きていてもよかったわけです。どこかで書きましたが,太宰治と松本清張の生年も同じなんです。長岡さんはその二人よりも1年前に生まれています。私の場合,昔の人かどうかという印象は亡くなった年から受けるものが強いように思います。みなさんは,どう感じますか。

菊のこと。

 先月,仲秋の名月について書きましたがそろそろ後の月がきます。
 今年は何日になるだろうと,いつもお世話になる旧暦を載っけてあるサイトを見に行ったら,今日は重陽の節句ではありませんか!!! 重陽の節句といえば菊ですが,もう亡くなって45年になる祖父がわりの大叔父が,たくさんの大輪の菊を育てていたのが今でも目に浮かびます。子どもは近づいてもいけませんでした。
 五節句の中でも重陽の節句を祝う習慣は一般にはもうないでしょうね。うちのあたりでは私の子ども時代でさえ記憶にありません。菊といえば連想ゲームで黄色。無理かな?(笑) でもなんか黄色なんです。なんででしょう。大叔父が育てていた菊だって他の色もたくさんあったんですがねぇ。

 ところで,本の虫だった私としては菊といえば「雨月物語」と「聊斎志異」に一言触れなくてはいけません。なんちゃって。若いころは「菊花の約」のほうに思い入れがありましたが,今になると,とんでもない愚かさの中でしょうもない横死をする菊の精(「黄英」)により親しみを感じます。死んでのちも酒を注がれるとよく茂った,というのが愛おしい。あっ,ここに黄色が出てきますね!! これが刷り込みの原因だろうか。
 こんな横死をする若い男(実は菊の精ですが)を愛おしいと思うのも,ベニスで死ぬのと似た加齢の表れなのでしょうか。(笑)

 さて,この話,誰の訳で読んだんでしょうか。今回調べてみたけど分かりませんでした。例の太宰が「清貧譚」という翻案を書いていますが,これを読んだはずはありません。「馬」「陶」という名が記憶にありますから。まぁ,それはいいことにしましょう。終わり方の現実との近さがいかにも中国的です。

 最後に一言。どうしてネット上で「菊花の約」の原文が見つからないの。著作権に問題があるとも思えないのに。リンクが貼れないよ。(泣)

 あっ,肝腎の話を忘れるところでした。今年の後の月は10月20日の水曜日のようです。

追記:
 「菊花の約」見つけました。しかし,ものすごく読みにくい。もう少し,読みやすく整形したところないかなぁ。ご存知の方は教えてください。

追記2:
 あまりにも読みにくいので,先日juneさんのコメントにもあった涅槃縦書き文庫の開発日誌さんのところを参考にして使い,縦書き表示のものを作ってみました。(2013-08-21に移転され,移転に伴いブログの名称も変わっているようですが,リンクテキストはもとのままにしておきます。―2013.8.29追記)
 こちらからアクセスしてお読みください。javascriptをonにしておく必要があります。「菊花の約」は2番目の短編になります。左下の表示が10%くらいになったところが始まりです。多分。8頁から始まります。

追記3:
 本日(11/27),「黄英」と「清貧譚」の縦書きバージョンを作ったのでこの記事も読み直したんですが,知らないで読むと横死する菊の精の名が黄英のように読めますね。これは亡くなる少年の姉の小字で,死ぬほうのは三郎です。これも小字でしょうかね。

仕事をしなくてはと思っているのだが……

 今日どうしても仕上げておかなくてはならない仕事があったのだが,どうにもやる気になれなくて別のことばかりしていた。厳密に言うとデッドラインは9/30だが,これからの勤務状況なんかを考えていると「今日がなぁ」となるわけだ。

 少しばかり秋思期に入っているのかもしれない。
 春の黎明と秋の黄昏は等しく物思うころだ。

 いい年して何を言っていると思われるかもしれないが,人生の峠を越えて下りに入ってくると思春期ならぬ思秋期というところだろう。

 まぁ休日に仕事に取り掛かれないからといって,そこまで大上段に振りかぶって言い訳する必要もないのだが,この頃とみに生計(たつき)の道における労働意欲が減退している。こんなことで良いわけはないのだが……

 いまどきだから仕事というとPCの前に座ることになる。しかし,PCの前にずっと座っているからといって,仕事をしているわけではないのが問題だ。今だってこれを書いているわけで,書いている間は仕事はストップしている。

 同じ「秋思」でも劉禹錫のでも読んで,気をやわらげたほうがいいかな。どう思います?

便 晴 我 自
引 空 言 古
詩 一 秋 逢
情 鶴 日 秋
到 排 勝 悲
碧 雲 春 寂
霄 上 朝 寥